加筆中です〜。ゆっくり書きます〜
長編プロフィール
大学生時代くらいから思いが芽生えて面白くなるかもです。
①幼少期
埼玉生まれ。パズルとレゴブロックが好きな子供だったらしいです。(笑)
パズルは3つ混ぜてやっていたみたいです。w
今でいうと人とか才能の組み合わせがパズルみたいに見えているので、
それを、(今の仕事だと才能開発とソウルメイトくっつける形で外に表せるけど)当時はそうやって表してたんでしょうね。
あとなにか(上から眺めて)立体的なものを作り上げるのが好きなんでしょうね。
→この感覚は今もあります。常になにか(相手の状況とか世界)を上から俯瞰して眺めて話したり解説したりしている。
体は強くなく、幼稚園は4分の1はお休みだったらしいです。
母とプリントを解いていたなーってのはなんとなく覚えています。
②学生時代
勉強好きな子供で、小学校は普通の公立だったので、ずっと一番。
100点が当たり前だったので、99点以下は自分にとって全部いやで、今でもミスが怖いし苦手ですw
→このブロックは何度でも発動するので都度書いて解除しています笑
今はもうテストじゃないしだれも責めないよーってw
ちなみにこのミスが苦手というのが、どう今の仕事を支えているかというと、
(相手のために当てたい、に転化して)ものすごい緻密な未来シナリオ予想が
できるようになりました(笑)
相手の反応と行動によって、シナリオを1個ずつ消して上書きしていくので、
どんどん精度の高い予想に書き変わるんですよね。
なおさんの言うことはいいことの方が怖い。当たるから。って言われますw
みなさん、ブロックって悪いだけのものじゃなくて、必ずそのおかげで得ているものがありますよ。
仕事や才能に必ず繋がっています。
そして、勉強だけじゃなくて…字とか絵とか工作もうまかったので、
賞状をいつももらっていました。
対照的に運動は苦手で足がとにかく遅く(笑)、
かけっこはいつもビリでした。
勉強が簡単すぎて1分で終わって残り45分待つみたいな生活だったので、
これが続いたらたまらないと思っていた矢先、友達を通じて中学受験を知り。
親にも賛成してもらえ、5年から地元の塾に入り、遅めの中学受験の道に進みました。
この先生がほんっとうにいい方で。お互い中学受験初!みたいな感じなので、
二人三脚で受験をサポートしてもらえ、
あと1点なかったら落ちていたという状況で、一次で落ちて二次で落ちて3度目の奇跡で三次の補欠で受かりました。
金管バンドと習字教室の後輩になお様と呼ばれていて(笑)、この頃からすでに女王気質は発揮されていましたw
後輩好きもこの頃から自覚していて、ありましたね。
今も(年齢問わず育てさせてくれる人が好きという感じで)変わらないです。
③中高時代
中高は打って変わってその学校で一番の子ぞろいの学校なので、
成績は最初はめちゃくちゃ悲惨でした。
吹奏楽部に打ち込み、(週6を永遠5年間)そればっかりでした。
女子校でみんな優しく仲が良かったので、比較的伸び伸び過ごしていたと思います。
中2くらいでファッションにハマり学校を転校したくなりますが、そこまでの強い熱意はなく面談で自然消滅。
その熱意が去った後、中3から勉強に注力し、どんどん勉強に自主的にはまりこんでいきました。
受験期は、たぶんその学校でももっとも勉強していた部類だったと思います。
ようはエネルギーを思いっきり注ぎこめるものがいつでも欲しくて、
当時は勉強今なら仕事で、なにかに常に全力を注ぎたい人生なんですよ。
そこまで大きく書くこともないほど、
平和で、部活と勉強のみに専念した6年間でした。
あえてしんどかったことを書くなら、
1年間同じ友達と毎日お弁当を食べるので話したいことがまったくないのがほんとうにきつかったです。
勉強しかしてないしテレビも芸能人も興味なかったので。
高2でニュージーランドにホームステイに参加したため、海外はいいところ!というイメージがつき、その後の海外飛び回るライフの元ができました。
あ、あと、中2の読書ノートのコメントを見返すため、という動機から読書にハマり、
年数百冊の多読家になりました。受験期もずっと本だけは読んでいました。
③大学時代
2校だけ受けていて(昔から謎にめっちゃ強気そしてぶれないw)、
第一志望はあっさり落ちたので(笑)第二志望に進学。
全力を出し切っていたので悔しいとかなく、ただ悲しいしかなくて、
このとき人生で努力ではどうしようもないものがあることを初めて知りました。
といっても昔から切り替えが早く(笑)、
入学が普通に楽しみで、今まで部活と勉強しかしてきていないので、
もう吹奏楽じゃないものがやりたく。
前から興味のあった国際系のサークルに振り切ります。
(このとき、第一志望落ちて良かったなと今でも思います。
というのも、その学校はわたしがいた国際団体の活動があまり充実していないので、
そこに行ってしまっていたら海外の人生とかがたぶん開けてないです。
あと、ストレートにザ大手に就職してそうで、こんな生き方ができなかったと思います。
全部ベストだったんだなと思いました。)
サークルがさかんな学校で複数掛け持ちが当たり前。
アクティブなので、3つ入り、うち2つはけっこう活動する国際系のところでした。
でも、1個もなじめず。
1個は全員帰国子女のような雰囲気で、それに入っていく子達もいましたが、
わたしにはそのような強さもパッションも主張したいこともなく。
一番は、「だれかを助けたい」で入ったのに、(そういうボランティアの海外のインターンとか)
自分よりはるかに優秀ででききっている人しかおらず、その思いを発揮できないことが一番つらかったです。
ただ、インドへのインターンを経験しており、
インターンで成し遂げたことはないけど、
一人旅と、現地で(テキトーに)生きる。ができるようになって、
インドで生きられるなら他も行けるだろー。(割とホントこれ)という謎の確信を得て帰ります。
ここから、誰よりもしゃべれなかったコンプレックスを克服したい?他ではできると証明したい?ような思いで、
海外に飛びまくります。全部で16か国くらい行きましたかね。
ほぼ海外と、大3から学外に出るようになって
(保守的なうちの学校と打って変わって)進歩的なお友達と出会い、
一気に楽しくなり。
ほとんどを学外で過ごしました。
ヒッチハイクして、富士山登って、県に分かれてミッションやって、短期のインターン複数掛け持ちして、
ハロウィンやって、学外のミスコンやって、撮影やって、夜通し語って、
青春でした。
あえて今以外で楽しかった時期をあげるなら、この頃ですね。
始めて自分の本質に合った友達ができました。
この頃出会った人達は戻りたいと思えるほど大好きです。
もちろん、今が一番楽しいけど。
④新卒
大学時代にいろんな世界を見て、人によっては、その人の環境(親とか国とか)が原因で
実現したいことを実現しにくくなっている、というのを知りました。
(そしてその前から、大1かその前からずっと、世界のためになにかがしたい、
世界を平和にしたい、貧困や格差をなくしたい。がありました。)
これがとても心に残って、「全ての人が夢を実現できる世界を作りたい」
これが根幹の思いになります。(今も一緒です。)
大3くらいからこの言葉ではっきり言っており、
(あるボードを使った撮影で、「(それの手段として)人の自己実現をサポートする」と書いて持っているデータが残っています。
魂は自分の未来をよくわかってたんですね。)
海外インターンも就活もすべてこれを話しており。
会社は、何社受けてもわたしが期待する精度で返答が返ってくる会社がなく、
またオーラがたぶん強いので(会社員として定着しなそうなタイプ)散々落とされ(笑)
その両方で最後自分としても持ち駒としても一択になっており、
理念に共感し唯一人事・役員を尊敬できた会社にそのまま入ります。(危険笑)
想像以上のブラック会社で、経営企画と営業と2部署経験しますが、
どちらも極度のクラッシャー上司で、休みはゼロ、新卒は1年で半分やめると先輩に入社後に聞きました。
初月からずっと熱があり、7ヶ月で怒鳴り声をもう2度と聞きたくなくて行けなくなり退職しました。
⑤バイトと副業時代
⑥独立後
奈央
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