地方移住の全手順【私はこうして移住した】

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地方移住の全手順【私はこうして移住した】

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こんにちはなおです。

今さっき、福岡での移住物件の審査が通り、無事に移住できることが決まりましたパチパチ!

生きるためだけにテキトーに仕事をハシゴしてきた人生だったので、審査が通るかものすごーーく不安だったのですが、ほっとして力が抜けました。

いろんなやり方で地方移住を叶える人がいますので、今回はわたしはこうして物件確定までしたよ!という実体験中心に、書いていきたいと思います。

わたしは20代女子の単身移住で、東京→福岡の糸島(海エリア)近くへの移住です!

①だいたいの移住候補地絞りで目星をつける

まず最初に、だいたいの候補地を決めました。

細かい移住理由は別の記事で書くのですが、一言で言うと東京の刺激過多な環境はHSP(high sensitive person)というとても敏感な資質の私には耐えられませんでした。

人やものの少ないのんびりした環境に移住でもしないともう生きられないと感じたためです。

そうして親にも移住の許可(?)をもらったあとに、ではどこにしようかとだいたいの候補地を決め始めました。

わたしはこのとき東京で消耗しすぎて精神力が残っていなかったので、知り合い0の環境はつらいと思い、最初から友人がいる地域で絞りました。

また物理的に東京から離れないと、東京に友人の多い私はまた戻ってしまいそうだったので、千葉とかそのへんではなく、あえて離れることにしました。

最初から友人のいる地域リスト

  1. 北海道
  2. 仙台(宮城)
  3. 名古屋
  4. 大阪京都
  5. 福岡

もともと大学生時代に交友範囲が広く、旅人でもあったためかかなり全国主要拠点に友人がいました。

またこのうち、北海道以外の2-5はすべて何度か行っており、土地勘もある程度ありました。

そこから福岡に絞った理由として、

  1. 北海道(寒いのが大の苦手なので却下)
  2. 仙台(宮城)(寒いのが大の苦手なので却下)
  3. 名古屋(あんまりなにもないので却下)(ごめんなさい)
  4. 大阪京都(性格が強めな人が多く、自分と合わないと思ったので却下。あとそこそこ人多いので休めない)
  5. 福岡(なんども行ったがなぜか居心地がいい。親友2人が面白い。海あり山あり&空港や都会と近く便利)

と、なんとも主観的な理由で決めました。

でも、移住を決めた方は同じように、けっこう主観的な理由で決めてるんです。

例えば、景色が好きだとか、四季があっていいとか、海沿いに住みたいとか、ここで子育てしたいとか、野菜がおいしいとか、人が優しかったとか。

なんとなく(人や土地、気候、食べ物と)フィーリングが合う、居心地がいいなんていうのはなんだかんだ一番大事なのかもしれません。

②移住情報・本を読みまくって情報収集

なんとなく福岡の糸島という海エリアに住みたいと思い始めました。

海に行くと開放的な気分になれ、とても心が癒されるので、海のそばで暮らしたい思いが強くありました。

あとは、フリーランスや面白い働き方(自営業など)の文化を聞いたことがあり、移住者も増えてきているホットスポット的な場所となにかに書いてあったからです。

糸島あたりに住む!と決めた後は、そこに限らず移住者の理由や暮らしが知りたく、移住関係の本や雑誌をひたすら読み漁りました。

とくに、ほとんどないのですが、女子の移住者だけにインタビューした本などにはとても励まされました。

同じ20代でもっと田舎に移住した女性の方も全国にいるんだと知れ、勇気が湧いてきたし、移住後には私もインタビューされる存在になってたいとの目標もできました。

③福岡滞在計画を立てる(物件探し・移住情報集め)

移住情報を集めることと並行して、仕事の契約期間満了後に、すぐ福岡に飛んで物件探しと情報収集をしてこようと計画を立て始めました。

福岡の中心地にとても頼れる親友がおり、連絡したところ泊まることを快諾してくれました。

検索を駆使して糸島あたりのことを調べると、ゲストハウスで移住相談を受けてくれるところがあることを知り、そこにも宿泊して移住方法をゲットしよう!と申し込みました。

また住むところとして、糸島だと車がないときついという結論にいたり、運転したくない私は糸島(海エリア)〜博多天神(福岡の都会・中心街)の間あたりがいいなと決めました。

そのあたりなら都会に出ようと思えばすぐで便利だし、海に歩いていけて自然もある。糸島あたりにも電車や自転車ですぐいける。といいことづくしでした。

そこに筑肥線という空港から直通しているローカル線が1本走っており、その沿線の駅を一駅ずつグーグルマップやスーモで調べ、物件エリアを絞って行きました。

そうして、姪浜(めいのはま)という最寄駅のエリアが一番、家賃も安く、電車の本数も多く便利、海ありの理想すぎる場所だと知りました。

その姪浜に絞ってスーモなどで物件情報を調べ、「あ、ここきれい。」と感じた家賃1万円台のところにひとつ応募しておきました。

他も応募したかったのですが、家賃1万円台極力固定費0にしたかった私の目に叶うところがもうなく、あとは不動産で実際に出してもらうしかないなという感じでした。

ここまで友人とのやりとりやインターネットのみで実際に見たことのない姪浜ひとつに絞ったので、なかなかがんばったし、便利な時代だなと実感しました。

ただこれは、福岡のある程度都会に近い場所だったからできたことで、もっと田舎の物件情報がない(賃貸に出している物件がない)ところでは、地元の人づてにいくしかないこともあるかと思います。

③福岡滞在編1,ゲストハウスに泊まって移住相談・情報収集

そんなこんなでバタバタと福岡に飛びました。

いつ物件が決まるかも行ってみないことにはわからず、帰りの便を取れない状況で、初めて片道で航空券を取って少し不安に思いながらのフライトでした。

1日目と2日目は、ゲストハウスに宿泊しました。

1軒目は最初から予約していたゲストハウスいとよりです。

ここは移住相談を受けてくれるところで、ほんとうにいろんなお話を惜しみなく話してくれ、至れり尽くせりで感動しっぱなしでした。

ゲストハウスをされているなるみさんは福岡地元の方、一緒にごはんに来てくださったへいすけさんは東京からの移住者で、両方の立場からの情報を得られてとってもよかったです。

2軒目はいとよりに宿泊中に紹介してもらい、予約してもらえたゲストハウス小春です。

こちらもすてきな古民家に、今度はご夫婦で一緒にごはんを食べてくれました。

このふたつのゲストハウスではシェアごはんという、その日に集まった宿泊者でごはんを作るプランがあるのですが、もうどちらもおいしすぎました。

糸島の野菜が体にしみて、畑をやりたい…!自炊を東京のときよりがんばりたい…!という欲が高まりました。

みなさんありがとうございます。

この2泊の時点で、まだ物件すら決まっていないにもかかわらず、もともとあまりなかった移住への不安がまったくなくなりました。

「いい人がいて、きれいな自然があって、食も充実していて、好きなことをして生計を立てている先輩がこんなにたくさんいて、もう大丈夫だ。」と思えました。

とくに、ゲストハウスなどそれぞれやりたいことをして生きている方のお話をたくさん聞けたことで、事業など自分で0からつくることが好きな自分と近いものを感じ、新しく行くというより自分の星に帰るような感じがしました。

③福岡滞在編2,物件付近を歩いてみる

1のゲストハウスに宿泊している間、実際に住もうとしている糸島〜博多天神エリアをたくさん歩いてみました。

(このとき猛暑の7月だったのですが、海沿いを夢中になった歩きすぎて1日で18キロも歩いて焼けましたw)

わたしは歩いてみた街の雰囲気で合うか合わないかといろいろ感じるタイプなので、実際に足を運ぶのがとっても大事です。

沿線の駅をほとんと制覇しましたが、結果姪浜が一番落ち着いて、目星をつけていた物件のそばには川もあって、自然があると元気になれるHSP気質に合っていて気に入りました。

ほどよくローカルな雰囲気があり、家族連れの戸建ありアパートもありのやや古めの街並みが落ち着きます。

物件のほど近くに大きなスーパーもあり、自炊したい私には便利でよし!と太鼓判でした。

④友人宅に宿泊しながら不動産巡り

3日目に予約していた不動産にいろいろ物件を出してもらい、比較するために来ました。

このときお世話になったのは姪浜駅からすぐのミュウコーポレーションさんです。

ベテランの方が対応してくれ、物件も見たので11時から16時ごろまでかかって大変でしたが、おかげで1日で終わりました。

家賃1万円台、姪浜が最寄(何分でもOK)、フローリングとこれだけの条件で絞ってもらい、1万円台のところが2件あったのでそこをふたつとも車で行って見せてもらいました。

ひとつめは低い山の中にある物件で、ふつうの人なら選ばないと思いますが、周りの自然豊かな景観がいいなと見学しました。

でも実際に行ってみると、アパート外に蜘蛛の巣がたくさん張っていて、古いのはいいけどすぐ外に虫が多そうで恐怖…と思いここはやめることに。

やはり写真だけではわからないちょっとな..と思うところもよくあるので、気になった物件は実際に隅々まで見ることが大事です。

ふたつめはあらかじめ応募していたきれいにリノベーションされた物件です。

ロフトつきであまり広くないのですが、わたしは相当ミニマリストでものがないので、むしろ狭いほうがいい!今の6畳ですら余って掃除がめんどい!と思っていたのでぴったりでした。

実際に見たところイメージとの違いがほぼなく、しいていうならコンロがついていないので自分で1万くらいで買ってつけることになったというくらい。

洗濯機も外置きになるけどさほど問題はなさそうだし、トイレの壁がおしゃれだったり部屋の壁が青くてきれいだったりと、小さいのにデザイン性が高くて気に入りました。

ここに決め、家賃19000円、管理費3000円、絶対入らなきゃいけない共済会てきな費用2160円の足して月額24160円くらいです。(共済会てきなのは、福岡特有らしく、友人宅にもあり、だいたいあるみたいです。)

ほんとうにネットで探しまくって、極力1万円台、どんなに高くても3万以内、と決めていたのでかなり達成できて満足でした。

東京で家賃73000円に消耗し続けていたので、やっとお別れできる。固定費削減万歳!という気持ちでいっぱいです。

⑤審査待ち

さて申し込みを終えて、物件の掲載を止める最初の費用を払って、いよいよ審査を待つだけに。

このとき早ければ今日中に保証会社から電話がくると言われていたのに実際に来たのは2日後で、ものすごく不安でしょうがなかったです。(福岡は、連帯保証人がいても、保証会社を通すらしい。)

わたしはブログでこのとき1万か2万くらい毎月もらっていますが、なにか自営とか書くよりも仕事やめてきました!またここで探します!のほうが詮索されずよっぽどいいと教えてもらったので、言われた通りに職業欄を空白にしていました。

実際に電話でもお仕事はこちらで探される感じですか?とか、当面の生活は預貯金からですか?預貯金の額は?などと聞かれ、内心めっちゃ焦ったけどふつうに答えました。

たぶん30万くらいって答えればこの安さだったら大丈夫だと思います。たぶん。

あと地味に焦ったのが、昭和への変換がまったくわからず母の生年月日わかんねえええってなったのと(答えたのは合ってた)、母の住所聞かれたのに、彼女が祖母宅に住み替えたばかりだったのでそこの住所だけ暗唱できず(泣)(なぜかというと1年くらいの間で住所を3つ経験していました、引越しの多い人生だったのです涙)

こんなこと聞かれるのか、これで落ちたらどうしようと不安すぎました。

⑥物件確定

不安なままいつ審査結果が出るのかもわからず、帰っていいのかもわからず帰りの券を取れないまま過ごしていたら、翌日OKでしたよと不動産から電話が来ました。

友人が、専門学生時代(つまり収入のない時代)に5万くらいの家申し込んだけど大丈夫だったと教えてくれた言葉を信じて、それより安いからそんな厳しいはずはない、大丈夫だよな?と信じてよかった…

これで、晴れてやっと、移住できることが決定しました!

でも、なんというか、世の中のフリーランスとか自営業への理解がなさすぎて泣きたくなります、こういう「審査」とか「信用」とかになる時。

わたしは神経が敏感なため、雇われる形で週5近く働いてしまうと刺激過多になり、どんな働き方でも体を壊します。

それを楽に生きられるようにするために固定費を減らしていい環境に移住するのに、そういう目的の転居すらしづらく、なんの補助もなく、ブログ収入が0でないので失業保険も頼れず、じゃあどうすればいいんだよってやり場のない怒りを感じます。

がんばっている人がちゃんと報われ、時には頼れる世の中になってほしい!

フリーランスみたいな人はこれから増えるので、世の中が追いついてくればいいなと切に願いながら、ここまでの手続きや気苦労でものすごく疲れたけど、まだまだ移住までの道は続きます。

⑦東京に帰って退去・転出届け

東京に帰って市役所に転出届けを出しました。

引越しで旧住所から出るときに転出届け、引越して新住所に入るときに転入届が必須です。

あとは不動産屋さんと退去日を決めて、ダンボールにひたすら荷物を詰める作業です。

ダンボールはアマゾンで20個入りくらいのを買った気がします。

とはいえ、けっこうミニマリストなので意外とすぐ終わり、世間で聞くほど引越し準備って大変でもなかったです。

退去日がちょうどおぼんだったため、立ち会えないから鍵はポストに入れておいてねーというスタイルになりました。

本とかをたくさん持っていたので、立ち去る前にけっこういろいろ捨てた気がします。

いらないものは持っていっても使わないので、有料だとしてもごみに出してしまった方が新生活が快適です。

半分壊れたストーブとかはここで処分しました。

こうしてあっさり退去しました。

⑧福岡で荷物がくるまで友人宅で待機

たしか荷物がくるまでに何日かあったので、1日は東京のお友達の家、もう何日かは福岡のお友達の家に泊めてもらいました。

福岡の友人宅にいる際、荷物がなぜか福岡じゃなくて福島に行った連絡が来て(なぜ)、もう何日か待つことになりました。

ミスなのでいろいろ経費で買っていいよーと言われ、素直にその間過ごす服とかを書いました。

結果的に1週間くらい待って、やっときた気がします。

その間は電話して新居の電気やガスを開通させたりと用事で新居と泊まっている家の往復が大変でした。

こんなにおいてくれたお友達にほんとうに感謝….。

⑨新居&転入届・保険とか手続き

そうしてやっと荷物が来て新居に引っ越せ、福岡ライフがスタートしました。

2週間以内に転入届を出さないとみたいな決まりがあったので、けっこうギリギリで出しに行きました。

国民健康保険やらも手続きをして、福岡市の説明的な分厚いものをもらって、なんとなく充実している市だなーと思いながら帰りました。

このときの感覚はすごく当たっていて、福岡市は若者や起業家を増やす策や何歳以上の健康診断の制度など、サポートが充実しています。

あとは置き型ワイファイも住所変更の電話をして、すんなり移せて、たしかその日のうちにワイファイも使えていた気がします。

便利だなあと思いました。

ダンボールをほどく作業も必要なものだけやり、けっこう積み上がったまま過ごしていました。(笑)

生活にほんとうに毎日必要なものってあまりないんですね。

⑩買い出ししながら新居ライフ

そのあとはもう、部屋の変更によって生じた細かいものを買い足しながら、新居ライフになじんでいきました。

こまったことも特になく、電球が一個しかつかない仕様なので、部屋が暗めなことくらい。(笑)

せっかく家から照明を送ってもらったのに、つけるところがなくて2個ともつきませんでしたw

あとはガスの火力がこっちは都市ガスではなくプロパンガスなので、強くてびっくりしました。

窓が4つあって明るく、寝付けなかったのでカーテンのつかない小さい窓も布や服でふさいだりしていました。

ちかくにスーパーもコンビニも、100均も、アウトレットもドラックストアもあるので、なにか買いたいと思ったときに東京とまったく変わらないどころかこっちのほうが便利な気すらしたのを覚えています。

このあと、福岡のカメラ部に一時的に入ったり、福岡のフリーランスコミュニティに入れてもらったりして、お友達もすぐにでき、1ヶ月くらいでさみしさを感じなくなりました。

大変なような一瞬なような移住

書き出してみると、大変だったけど過ぎてしまえば一瞬な移住…。

2ヶ月ほどで完全に住んでいるところにも慣れ、方言以外は福岡民になりました。

だいたいこんな流れで移住するよというのが具体的になっていればうれしいです。

わたしは計画できるほどの余裕もなく、東京もう無理!と思って急に移住したためつめつめなスケジュールでした。

ほんとうはもっとゆっくり住む場所を検討したり、引越しもゆっくりやってももちろんいいのです。

移住ってちょっと遠いところに行くけど引越しと変わらないよなあと思いました。

とくに一人暮らしなら、わたしと同じように独断で決めてサクッと(?)移住できるので、思い立ったら吉日ということで動いてみてください。

本やサイト、知り合いの声などでこのへんいいなと目星をつけることさえできれば、あとは見に行って感覚を確認して物件を確保するのみです。

じゃあまた。

HSP才能開発サポーターなお

 

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奈央

奈央

天職・ブロック解除の専門家。 あなたの夢の実現を妨げる心のブロック・思い込みをスパッと解除し、 本線(=ライフワーク、ソウルメイト、豊かさなど全て叶う唯一の道)に最短最速で飛ばします。 小さい頃から優等生、ガリ勉の元エリートが、新卒で入った営業会社含め20社以上仕事が体力的に勤まらず、初めての本格的な挫折と苦難を味わう。 その20社以上のバイトや派遣の転職期間中、合ってないものは続かないんだ、と薄々わかっていく。 その時の経験とカウンセラー取得により、天職やブロック解除からその方本来の道に最短で導くメソッドを開発。 その過程で自身も少しずつ無理と強がりをやめていき、宇宙のサインに従って行動したら、だんだん幸せに豊かになんでも叶う世界に来られました♡ あなたを最短最速で人生の本線に飛ばし、それにふさわしくない制限思考・重いブロックや思い込みは書き換え削ぎ落とします。 人生の転機の方はぜひお越しください。 メルマガのみで募集するプログラムやスクールで、「この人生で本当に良かった。」「自分のことが心から大好き。」「この仕事が大好きで涙が出る。」「周りに大好きな人しかいない、大好きと感謝が溢れる毎日」「欲しいものが向こうから全部やってくる世界」「このままみんなで天命を歩いていけば大丈夫、という絶対的な安心」そんな幸せで豊かな生き方に女性を最短経路で導いています。 大学生から一文字も変わらない夢・活動理念は「世界中全ての人が夢を実現できる世界を創ること」 「そのために教育で人を解放し、夢を実現する勇気を与え続けること」。

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