こんにちはなおです。
移住してからたった1ヶ月半で、人生が劇的に変わっていっているのを感じています。
わたしが人生つねに思っていることに「大きなものを捨てないと大きなものは入ってこない」という価値観があります。
その価値観をかたちづくった背景と、東京という環境を捨てて移住してなにを得たかと、について書きます。
なにか大きな決断をしたい人の勇気になれれば幸いです。
プロフィールかのような超長文です。
なにかを得たのは、いつもなにか失ったあとだった
人生を振り返ると、なにか大きく成長できたなと感じたり、新しいチャレンジができたのは、なにかを失ったあとだったなと思います。
失うことはつらいけど、そのあとに必ず、それまで以上にいいものが入ってきました。
失って⇨得て⇨また失って⇨また得て
人生ってこの捨てると得るの繰り返しだろうと思っています。
人生の最初の挫折は、東大に数学ができなくてあと10点で落ちた時です。
努力でどうにもならないことがあるのだと、わたしはこのときはじめて知りました。
でも、それ以上ない努力をしたからなんの後悔もなかった。
慶應に入ったらすぐ、「いままで勉強部活でできなかったことを、おもいっきりやりたい」と思えました。
そうして、世界最大の国際団体アイセックに、なんの経験もなく熱意だけで入ります。
1年の夏、アイセックのインターンでインド滞在時、なにも話せない、言いたいことも言えることもまだなくて、「なおはなにも話さないね。」といつも言われていました。
そんなふうに、ほかのサークルでも全部挫折します。
テンションの高い人たち、先輩、クラスの人と話すのが、どれも苦手でした。
苦手なのに飛び込むから陰口もたくさん言われました。
そうやって大学でもなじめずに逃げて、居場所がなくて、外に出ました。
なんとなくできるかな楽しそうと参加したヒッチハイクの企画。
これがわたしの人生を変えました。
はじめて、大学に関係なく、自分の好きなことをしている、楽しい人たちと出会いました。
こんなふうになりたい、この人の世界が見たいと思った人がいて、そこから、海外プログラム、イベント、インターン、かぞえきれないほどの経験をしました。
はじめて、大学生って楽しい、世界って楽しいと思えました。
でも、楽しかったけど、小さい頃からずっと空虚でした。
なにをしても満たされなくて、没頭できるから勉強をしていた気がします。
その間だけは満たされない感情と付き合わずにすみました。
いくらプログラムに行っても、だれとなにしても満たされない。
いつも俯瞰して冷めている自分がいました。
なにか女の子のイベント作りたいと思ったけど、なに不自由ない環境の中で、あまりに弱い思いでした。
なにも作れないまま、ただ体験を消費してときが過ぎました。
新卒で得た経営企画のポスト。現実は19連勤。ひたすら体を壊した
新卒で、200人のうち3人しかつかないポストに配属されました。
そのなかで2人と1人にわかれているので、実質わたしは部署1人です。
ちょっといい気がしていたけど、休めない、終電になる、帰ってからも仕事する。
5ヶ月耐えて、だれの前でも涙が溢れるようになって、営業に異動します。
でもほんとうはもう気力なんて残っていませんでした。
営業に行ってから、もっとひどくなりました。毎日だれかが怒鳴られる。怖い。
7ヶ月で会社に行けなくなって辞めるまでに、パブロンの瓶が400錠なくなりました。
初めてピカピカの肩書きをなくす。じゃあなにがしたい?
生まれてからずっと頭がいいと言われ、ピカピカの肩書きを持っていたけど、はじめてすべてなくしました。
そこでやっと自分と向き合う時間。
これ以上悪くなんないんだから、わたしはなにがしたいの?
それやってみりゃいいじゃん。失敗したってこれ以上悪くならないよ。
やりたかった、撮影を仕事にするをやってみる。
最初は反響ゼロ。すぐに150人になり、東京、大阪京都、福岡拠点で開催した
当然最初は反響ゼロ。
違うなと変えてみて、女子会形式で開催する。DMでお誘いする。
150人入ってくれ、人数の多かった東京、大阪京都、福岡の3拠点で撮影会を開催した。
人生で2番目にありがとうをもらっていた。
なおちゃんまた来てと言われ、帰る場所が増えた。
結局倒れる、バイトしても倒れる。なんで?
ほとんど1人でやっていた。
兼業で週5セラピストもしていた。
当然倒れて、なにも開く気力もなくなった。
それ以降1年くらいに渡ってバイトを転々とする。
なにをしても、月に10日くらい熱が出る。
生き地獄だった。
なんで?なんでまともに働けないの?
わたしって敏感だったんだ。HSPなんだ。
東京1忙しい百貨店の仕事で心身が半分壊れたとき、本で自分はHSPだと知る。
やっと、やっと、なにをしても体調を崩す理由が理解できる。
そんなふうに思ったことなかった。でもわたしって敏感だったんだ。
このときすでに限界を超えながら働いている。
休んでも心身がまったく回復しない。助けて。
親にHSPだと打ち明ける。
もう東京では刺激が無理だと思うと必死に伝える。
どっか静かなところに住みたいと懇願する。
限界を超えながらも、3ヶ月なんども倒れながら勤務を終える。
場所は意外とすんなり決める。
やっと、やっと移住。
移住したら、静か。息が吸える。
人を見なくてよくなった。
東京で働いているまわりのことを気にしなくてよくなった。
ごちゃごちゃした環境から解放された。
意外と普通だと思っていたのに、変化は速かった。
ためらっていたけど、心に従ってジムに入った。
体が嘘のように軽くなる。
移住前にHSPのお茶会に行っていた。
そこでもらった「HSPの星よ。」の言葉を反芻しながら
なにができる?なにがしたい?を繰り返す
わたしは、HSPの人が、自信を持って、「自分の好き」の方向に行動していける、きっかけになりたい。
悩んでいるHSPの人が読んだら自信が持てる、HSPの才能をインタビューした本を出したい。
そうして本格的にはじめたブログとインタビュー。
実はこれで100記事になった。
集中できると、速いんだ。
週で3000人くらい読んでくれてる。
なんだかコメントがたまった。いつも記事がどこかでシェアされる。
やったことのないアドセンスとアマゾンアソシエイトも1000円ずつを超えた。
インタビューも、14人になった。
でも、人数より、ありがとうと反響と、おなじHSPさんと心を通わせることがなにより嬉しい。
これが天職だ。わたしはブロガー?
これが天職だと最近日々感じる。
でももう一歩進んだ。
わたしはブロガー、アフィリエイターのどちらか、あるいは両方だと思っていた。
でもなにか足りなくて。
HSSの情報がなくて困ると言われた。
ないなら作ろうと思った。同じことで困っている方はたくさんいる。
そうして今、オンラインコンテンツを作っている。
紹介するだけじゃなくて、やっと、ずっとやりたかった、自分で商品を作れる。
ほんとうにいいと思えるまで、自分で作り込める。
ふと、みんなを集めたら楽しそうだなと思った。
HSS女子会議を作った。
その日と次の日、素敵、と、来たい、というコメントが来た。
もうすでに嬉しい。
移住して、天職とたくさんの仲間を得た
移住して、東京の、いつも会いたいと思う人たちがいる環境を捨てた。
実は移住にもっと前から興味があった。何年もためらった。
そのくらい人が大事だったけど、大きく変えないとなにも入ってこないと思った。
この決断のおかげで、移住して、やりたいことを思いっきりやれるようになった。
そうしたら、人生が急スピードで進んだ。
思いの向く方向に動いていた。
いつのまにか、横を、前を、後ろを、走っている仲間ができた。
いつも、したいことをしていると、いつのまにか、なにかに向かう仲間ができる。
ここからのストーリーはどんなふうに続くだろうか。
現代人は忙しいから、先になにか捨てないともうなにも入らない。
余白がない。
これ以上いれないで、捨ててみて。
今1番足かせになるものを捨ててみて。
その決断はあなたを悩ませるだろうけど、その先には必ず、
捨てたもの以上のいいものが入ってくるから。
じゃあまた。
なお
奈央
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