こんにちはなおです。
わたしは24歳で自分がHSPだと気づきました。
これはおそらくやや早い方だとは思うのですが、それでも変化の大きい大学生や就活生、社会人初期を知らないまま過ごしました。
だから、当時はそういう資質のせいだと知らないので、意味わかんないほどつらいことがけっこうありました。
今回はHSPだと気づく前にきつかったことをまとめます。(気づいても苦手は変わらないので今も続いています。w)
もしかしたら自分もこれあった!という方もいるかも。
Contents
①人と話すと常に緊張状態
小さいころからずっと心臓がドキドキドキドキしていました。
これはほぼだれと話す時もそうで、超仲の深い5人くらいを除いて、母や妹と話す時もわたしはドキドキします。
これ、なにか怖いとかではなくて、自分が話す(聞く)という状況になったとたん、スイッチがカチッと入って戦闘状態になります。
スイッチは相手の前になると自動的に入ってしまい、早口になるし、あとで死ぬほど疲れるのでどうにかしたいです。
でもこの緊張がなくなったら頭が働かないし相手への興味もなくなって話せない気がしますw
②120%の集中でしか聞けない。相手しか見られない。周りが見えないし食べられない
①と連動して、わたしは相手に自動的に120%の集中力を向けてしまいます。
相手からしたら聞いてもらえている感じはするのかな、とも思うし、そんなガチで聞かれたら疲れる気もします。
典型的な過集中の状態です。
このとき周りとか見られないし、周りの音もあまり聞こえません。(気になる時はある)
毎日一緒に帰っている友達とごはんに行くくらいでもそうなってしまい、盛り上がってつい声が大きくなり、周りの見えている友達から、「もうちょっと声さげよ。」と言われたりしました。
その子はつねに意識を話し相手以外にも向けるようにしているらしく、あまりにもわたしにはできそうにない芸当でびっくりしました。
超仲のいい相手の前でならこうならなくて、テキトーに聞いたりできるのですが、そんなに長くない95%くらいの相手では無理です。
それで歴代の好きな人や友達とあちこち出かけたりしても、相手に集中しすぎているから景色とか味とかよくわかりません。
食べている時目の前に相手がいると、本当になにを咀嚼していて、どれくらいで飲み込むのかわかんなくなります。
そのせいで人といると食べるのめっちゃ遅いです。
相手の顔や話していたことだけを覚えています。
場所をちゃんと見たい場合、もう人と行く時は無理だから1人で行こうと、そこは割り切りましたw
③授業で隣の人と視線がかぶるのがほんと無理!
わりと早くから謎にめっちゃ無理!と自覚があったのがこれです。
高校や大学で授業をうけるとき、隣の人と目線がかぶります。前を見ているので当然です。
この自分が見ている範囲に相手の視線も入ってくる状況がほんとうにたえがたくて授業に集中できず、わざとほおづえをついて横が見えないようにしていました。
1番きつかったのが大教室で隣との距離が20cmくらいしかない何人かで座る形式の机です。
赤の他人と視線がかぶったり、逆にいろいろ知っている親友とかぶったり、両方まじできつかったです。
④電車で、前の人と視線がかぶるのがまじで無理
③とおなじことの別の状況編で、毎回電車で立っているとき、座っている人と目線がかぶるのが無理すぎてあああああっていつもなっています。
よく本をもって読んでいるのですが、本を超えて少しでも相手の顔が見えるといやで、全力で相手の顔にかぶせて読んでいますが、あまりうまくいきません。
スマホを見ていたり、なにも見ていないときでもおなじくこの状況に苦しみます。
座ると自分の視線が低くなれてとくに気にならなくなりホッとします。
⑤小学生の、「廣瀬、てんさーい!」の喝采がほんと無理
書いていて思い出したのですが、小学校の時って頭がいいと自動的に超目立ちます。
たぶん学年で1番よかった気がするので、どのクラスに行っても「ひろせ速!」「ひろせ天才!」と毎回なにを出す時も連呼され、ひたすらやめてほしいしいい加減辟易するしでした。
注目されたい気持ちとだれも見ないでという気持ちがつねに対立していて、どっちかというと本質は静かに暮らしていたい方です。
⑥家族の足音、声がつねに超ストレス、家で安らげない
わたしは4人家族で、父母と妹とわたしの4人で暮らしていました。
この4人暮らし時代がくっっっそきつかった。
父がなくなって母と妹と3人で暮らした時もあるのですが、ほぼ変わらずだれかいる時点で超ストレスをためていました。
自分の部屋にいても、人の足音が聞こえるだけでイライラ、話している声も全部聞こえてくる。
旅行しては超疲れ、景色に感動できる見識もまだなく、出かけたくなのにいつも出かけて疲れていました。なにが楽しいんだろうと思っていました。
うちは父も母もけっこう思ったことをそのまま言うタイプだったので、そこらじゅうに会話のかみあってなさを感じてこっちまでイライラ。
この2人なに言ってんの?なんで気づかないの?と思い続けていました。
今でこそ言語化してかけますが、言語能力が追いついていないから口に出せないのに、いまと察し能力は変わらないわけだからほんとしんどかったです。
⑦テレビが嫌い。見ている姿も嫌い。ラジオも嫌。
わたしは今テレビがだいっきらいなのですが、よく考えたら小さい頃から嫌いの気が出ていました。
親がよくDVDを見ていて、まだ働くのがどれだけ大変か知らなかったわたしはその姿を見るのがきらいでした。
なんかほかにやることないの?といつも思って、自分はそうなりたくなくて、だから本を読むようになったのかもしれません。
また親がラジオも車で聞いていたのですが、今思えばそれもストレスでした。聞きたくない声を聞かされることへのストレスが昔から強いです。
⑧車の匂いが嫌い
小さい頃はほんとうに車酔いがひどくて、もどしてしまうことが多かったです。
それはなくなったあともずっと車の匂いがほんとうに嫌いで、芳香剤を置かれてもその匂いも嫌いで、逃げ場がありませんでした。
家が埼玉で、車に乗らないとなかなか出かけにくい場所だったので、つねにきつかったです。
今は一人暮らしで乗ることもほぼないので、快適です。
⑨とにかく家族がうるさいと感じる
全員に対して、つねにうるさいうるさいと感じていました。
別にうちが特別にうるさいわけではなく、むしろ普通くらいの家庭です。
でもなにも言ってこないでと思っていて、なお!と(わたしてきには)大声で呼ばれるたびにイライラしました。
干渉させるたびにストレスをため、マイナス発言をされるたびになんでこんな見方しかできないんだろうと理解ができず。
言うともっとめんどくさいので、我慢して我慢してほとんど言わなかった気がします。
はじめて心に平安が訪れたのは、23で一人暮らしになったときです。
⑩職場で人が隣にいるのがまじで無理。なにも集中できない
就職してから1番無理だったのは、怒鳴られることとかよりも人がつねに隣にいる環境です。
匂いとか音とか声、食べている音まで全部伝わってきて、最悪の状況でした。
この状況で仕事をしなければいけないのが、1人だけものすごい重りをつけているような気分でした。
⑪人が怒鳴られている環境でテレアポどころじゃない
今でこそ理由がわかりますが、耐え難かったです。
いつもだれか同期が怒鳴られていて、その中でテレアポをし続けなければいけませんでした。
そうでなくても、つねにピリピリした環境で、手汗がいつもびっしょりでした。
素直に体に現れていて、このとき体調が人生で何番目かに最悪でした。
自分も怒鳴られましたが、というよりもだれかが怒鳴られていることへのほうがびくびくしてなにもできませんでした。
とにかく家がうるさい!視線が無理!な子供時代
まとめると、とにかく安らげる場がなかったんだなというのがよくわかります。
ドキドキしているか、うるさい!か、気になって無理!という状況ばかり浮かびます。
これを書いていて、できるだけ人生の早期に自分がHSPだと気づくことって思ったより大事だなと感じました。
もっと昔から自分か家族のだれかが知っていたら、もう少し生きやすい環境を作ってくれた気がするのです。
HSPのことがもっと広まりますように….
じゃあまた。
HSP才能開発サポーターなお
奈央
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